ちょっと昔、1980年代のお話です。
当時、ボクが通っていた大学には、ヘルメットをかぶった過激派の学生がいました。そんなところだったので、左翼学生の一部が「本名を名乗ろう運動」(ボクが勝手に名づけました)というのを展開していました。
在日韓国朝鮮人や在日中国人の子弟は、差別やイジメを受けないように、小学校、中学校、高校では日本名を名乗っていました。本名の民族名で通学する子供は、あまりいませんでした。
それで、大学に入ったからには「本名を名乗り、本名で授業を受けよう」という呼びかけを行っていたのです。
この運動の賛同者のなかに、クラスメイトのキム・ウソン君がいました。在日韓国人二世である彼の俗名は、金村でした(名前のほうは忘れました)。ボクたちは彼のことを「キン君」と呼んでいました。実家は上野の焼肉屋で、何度がご馳走になったことがあります。
このキン君、自分が女性に持てないのは、名前のせいだと思っていました。彼の場合、自己紹介した瞬間に半島の人だとわかるわけで・・・。いまと違って差別が根強かった時代です。日本人女性としては、ちょっと引いてしまうのも仕方がありませんでした。
それでも彼は、俗名に戻すことはせず、いまでも本名のまま生活しています。
ただ、いま冷静になって当時のことを思い返してみると、キン君はただ単に容姿が原因でもてなかっただけなのではないかとも思えるのです(笑)。
2年生の秋、キン君に彼女ができました。アルバイト先の居酒屋で知り合った短大生で、名前は青木雅美(仮名)といいました。童貞を棄てた相手もこの女性でした。愛想のいい小柄な女の子で、学生時代はよくつるんで遊びに行きました。
卒業後はふたりと疎遠になっていたのですが、1989年の春に披露宴の案内状が届きました。披露宴の場所は、新宿の韓国料理レストランでした。
当日、そのレストランへ行ったのですが、会場は二次会か三次会のような雰囲気でした。会場を見まわしてみると、若い人しかいません。両親や親戚がいなかったのです。
キン君の両親は、日本人との結婚は絶対に許さない。在日韓国人どうしの結婚しか認めない。雅美さんの両親は、韓国人とは親戚付き合いができないという理由で、強硬に反対しました。ふたりがいくら説得しても、両家が折れることはなく、とうとう親類縁者が出席しない披露宴になってしまいました。
でも、披露宴自体は、盛り上がりました。キン君の指導教授による乾杯のあと、韓国の民族芸のが次々と披露され、真露やマッコリを飲みながら、歌え踊れの大宴会になったのです。
その後、ふたりに子供が生まれると、キン君の両親は結婚を許してくれ、家へ出入りできるようになりました。
しかし、雅美さんのほうは、今だに許しが出ず、実家とは彼女の妹を通して連絡をとっています。